カインとアベルのお話
友人にキリスト教系の学校に通ってた子がいるんさ。
キリスト教系だから、牧師の先生 (神父さんだったかも) が聖書の教えを説く授業もあるんだってさ。
その授業の中で、ある日カインとアベルの話が出てきたんだって。
カインとアベルの話をざっと説明すると、
むかし楽園に兄弟が住んでおりました。
兄はカインという名で、農耕をしています。
弟はアベルという名で、牧畜をしています。
ある日ふたりは神様にお供え物をしました。
兄のカインは地の作物を捧げました。
弟のアベルは子羊を捧げました。
神様はアベルの供物だけを目に留め、カインの供物は無視しました。
カインは嫉妬してアベルを殺しました。
カインは人類で初めての人殺しになりました。
この話を聞いた友人は納得いかなかったそうで、先生に突っかかった。
神様は酷くないですか、と聞いたら、先生は色々とこのお話の意義を教えてくれたのだけれども、友人はやっぱり納得いかなかったんだってさ。
だからこんな感じのことを言ったそうな。
「でも、やっぱり酷いです。
だってこの二人は神様を信じてるんですよ。
あたしだって、一番信頼している、例えばお母さんにこんなことされたら悲しくなります。
兄弟だけ褒めてあたしだけ無視されたら悲しいです。
お母さんにそうされるのでも悲しいのに、このふたりが唯一信仰している神様に無視されたら、本当に悲しいに決まってるじゃないですか。
しかも、これが人類で最初の殺人なんですよね?
それが兄弟殺しって酷すぎませんか?
神様は全知全能じゃないんですか?
弟だけ褒めればこうなるってわかってたんじゃないですか?
神様はそんなこともわからないんですか?
先生、あたしは神様は人として間違っていると思います!」
神様に人としての是非を問う、ということ
「神様は人として間違っていると思います」
このセリフを聞いて、やっぱこの友人はタダモノではないなと思いました。
この話を他人から聞いたらさ、「そもそも神様は人じゃねーよ」とか「空気読めないやつだなぁ」とか思うかもしれんけどさ、あの友人の口から聞いた時にはズガーンと雷に尻を打たれたような衝撃があったんよ。
自分も最初は爆笑しちゃったけどさ、人を超越した神様に対して「人として間違ってる」なんてなかなか言えんよな。
中二病的な斜に構えたが故の発言ではなくて、心からそう思っているのがすごいと思いました。
神様だから、とか権威として扱われているから、といって闇雲に何かを信じたり無批判になったりせず、自分の心に素直に従ってこういう柔軟な発想ができるのは本当に羨ましい。やわらか脳だな。
なお僕自身がこの話についてどう思うかは、ややこしくなりそうなんで書きません。
こういう考え方の子がいる、ということを紹介するに留めておきます。
ちなみに、カインとアベルの話から得られる意義・示唆はちょっとググっただけでも色々出てきます。
なぜ神様はカインの供物を無視したのか、神様は人として間違っているのか、気になる人は調べてみてください。
こういうのは一度自分の頭で考えないと答えが出てこないんじゃないかな。
まとめ
「神様は人として間違っていると思います」発言から受けた衝撃は以下の二点
・仮に自分がキリスト教徒ならそんな素直に神様を批判できないだろう。
・仮に批判できたとしても、神様が人として間違ってるなんて発想は出てこねぇ。
ちなみに友人も今は神様を信じられるようになっているようです。
あの友人がどう折り合いをつけたのかも気になるところです。
では。