【第0回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - Novel Cluster 's on the Star!
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( 4,999 / 5,000字, 初心者枠)
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カムタナクニには爆ぜりんごという種類のりんごがある。なんだかぶっそうな名前だけれど、そんなに危ないものじゃあない。ムビの子であろうとカエルの子であろうと、カムタナクニに住むたいていの子どもは爆ぜりんごが大好きだ。ナイフでさくさく切って、しゃくりとかじって頬張った瞬間、爆ぜりんごはかすかにぱちぱちと爆ぜる。前歯で、奥歯で、爆ぜりんごを噛むたびに、りんごの果肉が弾ける心地よい感覚と爽やかなりんごの甘味が口の中で混ざり合う。それが爆ぜりんごの人気の秘密だ。アマガエルの夏緑(なつみどり)も、むろん爆ぜりんごが大好きだ。
さて、爆ぜりんごはなぜ爆ぜるのだろうか。夏緑は、幼なじみのユンデと一緒に、ユンデのおじいさんからその理由を習ったことがある。爆ぜりんごに限らず、くだものや、野菜や、夏緑のようないきものでさえも、小さな小さなふくろが寄り集まってできている(これは学校でも習ったことだ)。そのふくろにはいきものが生きるために必要な様々なものが詰まっているのだが、ユンデのおじいさんが言うことには、爆ぜりんごには普通のふくろの他に空気だけが入ったふくろが混じっているそうだ。そして空気だけが入ったふくろは、普通のものよりかなり破れやすい。だから爆ぜりんごを口に含んでもっくもっくとかむたびに、空気がぱちぱちと爆ぜるの だ。
「じゃあさじゃあさ、なんで爆ぜりんごには空気の入ったふくろがあるのさ」
ユンデがおじいさんに尋ねた。
「どんないきものも息をするじゃろ?」おじいさんが答えた。どんないきものも息をする。これはユンデも夏緑も知っている。そしておじいさんによると、ユンデたちの体を形作っている小さなふくろたちも、かすかに息をしているのだそうだ。
「そいでな、普通の野菜なんかは少しずつ体の中に空気を取り込んで、ゆっくりとすべてのふくろに空気が届くようにしとる訳だな。だけども爆ぜりんごは体の中のあちこちに空気をためておく専用のふくろを用意しとる訳だ。息をあまりする必要の無いときに空気をためる。空気が必要な時は専用のふくろから空気を取り出す。そうすることで効率的に息をすることができる。効率的にな」
「コーリツテキニ」夏緑には少し難しくて、とりあえず最後に聞こえた言葉を繰り返してみた。ユンデはふんふんと鼻息荒くおじいさんの話を聞いていた。
「じゃあさじゃあさぁ、爆ぜりんごがなる木もさ、空気をいっぱいためてるの?」
ユンデが次の疑問をおじいさんに投げかけた。
「普通の木よりはな。だもんで爆ぜりんごの木でつくったいかだは良く浮かぶ」
アカサ川の川べりで、ユンデと一緒に小さないかだを浮かべて遊んでいる時、夏緑はふいに爆ぜりんごのことを思い出していた。
「どうしたのさ、ぼうっとしてさ」
ユンデが首をかしげながら夏緑に声をかける。
「うん、なんだかね、ユンデのじっさまに爆ぜりんごのことを教えてもらったことを思い出しちゃって」夏緑はえへえへと答える。
「あァ、あの話か! うはあ、爆ぜりんご食べたくなってきたなあ」
「でも、もう爆ぜりんごってあんまり売ってないよねえ」夏緑はのんびりと言う。爆ぜりんごの旬は春。夏が迫る今頃になると、もうあまり市場では見かけない。ユンデはふうむとうなってこう言った。
「うーん、じゃあさ、僕たちで取りに行かないか?」
「ぼくたちだけで?」
「僕たちだけで!」
目的が決まれば、子どもたちは風のように動き出す。まずはユンデのうちに戻って、探検の準備だ。読書にふけるユンデのおじいさんを横目に、リュックに詰める道具を選ぶ。とにかくナイフ。そしてロープ。怪我をした時のために、ユンデのおじいさんが作ってくれた軟膏も。非常食にはユンデの好きな春麦パンと夏緑の好きな干しアンズ。もしも迷って帰りが遅くなったときのために、ランプもひっかけておこう。火打ち石も忘れずに。ナイフなんかは器用なムビ族が持った方がいい。だからリュックはユンデが背負う。夏緑は持ち手の長い虫取り網と、爆ぜりんごを入れるためのバスケットを持っていく。
「ねえ、爆ぜりんごの木ってどこにあるの?」そういえば夏緑は爆ぜりんごの木がどこにあるかなんて知らない。
「あっ……」ユンデも同じようだ。
「おまえたち、爆ぜりんごをとりに行くのか」おじいさんが本から目を上げ、尋ねる。ユンデと夏緑はうなずく。「市場に出回るのはほとんど水蘭さんの農場んとこのだが……。そら、あの猫の子がどこかで見たとか言っておらんかったか」
そういえば秋歩(あきほ)がそんなことを言っていた。秋歩は猫の子の中でもとくに気ままで、ふらりとどこかに行ってきては何かを見つけてくる。だけど見つけて来たものを持って帰ることはない。確かに秋歩に荷物は似合わないけど。
「秋歩はどこで見たって言ってたっけ……」ユンデはあごに手を当てて考えている。
「えーと……。あ、そうだ、キセン谷じゃあなかったっけ」夏緑が声を上げる。「確かキセン谷の壁のすきまを登っていったら爆ぜりんごがなってた、って言ってなかったっけ」
「そうだそうだ!」ユンデが嬉しそうに手を叩く。「向かうはキセン谷!」
「キセン谷か。あそこに行くなら、この季節は強い風が吹くことがある。気を付けてな」おじいさんが白いあごひげをなぜながら言う。
「うん! それじゃあ行ってきます!」
ユンデが元気良く家から飛び出して行く。
「はあい、行ってき……ひあ!」後を追う夏緑は扉に虫取り網をひっかけてしまう。「よっと……。じゃあ、行ってきまあす」
虫取り網をそろりと扉にくぐらせ、夏緑も出て行った。
「行ってらっしゃい」
どうせもう声は届かないので、おじいさんは小さくつぶやいた。
ユンデの家からずんずん歩き、アカサ川をわたり、早雨の森を抜けるとじきにキセン谷だ。キセン谷では、幅が短く細長い道の両側に、険しい崖がそそり立っている。谷底の道には背の低い草が茂っているが、両側の崖は赤茶けた岩でできていて、ほとんど草は生えていない。だけどもう少し上の方、崖の上まで見てみると、緑色の木々が揺れている。あのあたりのどこかに爆ぜりんごの木があるのかもしれない。
「秋歩はどうしてこんなところに来たんだろうねえ」 夏緑が疑問を口にする。
「アイツはわからんやつだからなァ」ユンデは顔をしかめて答える。「きっと理由なんてないんじゃないかね。そんなことより爆ぜりんご。どこにあるかな」
壁の隙間を登ったところにあるらしいが、キセン谷には洞窟じみた横穴もいくつかあるし、ユンデたちがすべりこめそうなすきまもそれなりにある。
「そうだ、夏緑! キミさ、空気の流れを感じるのは得意だろ?」
「うん、そうだねえ」夏緑の体は表面が湿っているので、ユンデよりは空気の動きを感じやすい。
「その体でもってさ、すきまの前で空気の流れを調べてもらえないかな。空気が流れてるってことは、どこかにつながってるってことだ」
さあ、爆ぜりんご探しを始めよう。
壁の割れ目を巡ることいくつか、やっとそれらしきものが見つかった。
「ん、このすきまから風が出てるよ」
「ほんとう?」夏緑の言葉を聞いたとたん、ユンデは壁のすきまに入り込んで行った。おおっ、とユンデの声が響いてくる。壁のすきまから出てきたユンデは夏緑に報告する。
「ここかもしれない、奥のほうで上から光がさしこんでる! ありがとう夏緑!」
「どういたしまして」ぺこりと夏緑。
ユンデと夏緑は壁のすきまに入り込み、するすると上へとのぼっていく。虫取り網がひっかからないように。バスケットを落っことさないように。学校では習わないのに、上手いものだ。本当にこういったことは、子どもの領分だ。
崖の上、地面に空いた割れ目から、まずユンデが顔をのぞかせる。「おー!」と声を上げ、いそいそと割れ目から体を出す。次に、割れ目から虫取り網が飛び出す。ユンデがそれを引き抜くと、今度はバスケットがぽんと出てきた。最後に夏緑の顔。それと体。
「見て見て、爆ぜりんごの木だ」
ユンデが周りを見回しながら言う。崖の上には爆ぜりんごの木が茂っていた。こんな場所にあるから、誰も収穫しないのだろう。真っ赤に熟した爆ぜりんごがいくつも実っている。ただ、もう季節が季節だから、地面に落ちて腐りかけているものもいくらかある。
「虫取り網でとれるかなあ」夏緑が爆ぜりんごを見上げながらつぶやく。
「その前にロープ結んどこうぜ」すぐそばは崖だ。気をつけるにこしたことはない。ユンデはロープの真ん中あたりを爆ぜりんごの木にくくりつけ、両はじを自分の体と夏緑の体に結びつけた。
「じゃあ行くよう」
夏緑が虫取り網をふらふらと爆ぜりんごの実に向けて近付ける。ユンデは夏緑がすっ転んでしまわないように、夏緑の背中をそっとささえる。じきに爆ぜりんごが虫取り網におさまった。
「それ!」
夏緑がゆさゆさと虫取り網を揺らすと、爆ぜりんごの実がぽろりと網の中に落ちた。
「でかした! えらいぞ夏緑! さっそく食べてみよう」ユンデはそう言うとナイフの刃をハンカチでぬぐい、するすると爆ぜりんごの皮をむいていく。
「うん? すごいぞ、普通のより熟してるせいか、皮をむいただけでもうぱちぱち言ってる」
「ほんとうに?」夏緑が興味深げに目をまるくする。確かにもうぱちぱちと音がしている。
「さあ食べよう!」ユンデはさくさくと爆ぜりんごを切り分け、夏緑にひと切れわたす。いただきます、と二人は言い、爆ぜりんごをほおばる。
「うあ! これ、いつもよりすごく爆ぜるや!」ユンデの口の中で爆ぜりんごがぱちぱちと、しゅわしゅわと音をたてる。
「それに、普通のより甘い気がするよ」夏緑がにんまりと笑う。
爆ぜりんごは熟していくごとに、だんだんと空気のふくろが大きくなっていく。そしてそのぶん爆ぜやすくなるし、爆ぜかたも大きくなる。また、空気のふくろに押しつぶされるように普通のふくろが小さくなっていくのだけど、かわりに甘みがぎゅっと濃くなるのだ。
ユンデと夏緑はいつもと違う爆ぜりんごを楽しんだあと、うちに持って帰るぶんを十個ほどバスケットに入れた。さあ帰ろうか、とユンデが言おうとした時だった。どう、と強い風が吹いた。
ぎゅっとロープをにぎりながら、ユンデがひゃあひゃあと、夏緑がうわうわと声を上げる。その周りで、風に吹かれた爆ぜりんごがぼとぼとと落ちていく。熟した爆ぜりんごは簡単に枝から離れ、地面にぶつかる。
風がやんだ。
「あーあ、爆ぜりんごが落ちちゃった。さすがにこんなに持ってけないぜ」
ユンデが残念そうな声を出した。
「あ、爆ぜりんごが鳴ってる」夏緑が周りに落ちた爆ぜりんごを見回す。
熟しきった爆ぜりんご。その中にある空気のふくろははちきれんばかりになっていて、地面にぶつかったのをきっかけにしゅわしゅわと音をたて始めた。その弾けやすさが、この季節の爆ぜりんごが市場に出にくい理由でもある。
ユンデと夏緑は、さわさわと流れる風の中で、しゅわしゅわと鳴く爆ぜりんごたちの声に聞き入っていた。二人は今、自然の真ん中にいる。そして、りんごと、風と、土やその他のいろいろと、もっと通じあえるような気がするのだけど、これ以上近づくと今度は何も見えなくなってしまいそうな、そんなもどかしさを感じていた。たぶん彼らは、これから爆ぜりんごをかじるたびに、今日のことを思い出すだろう。
「たのしかったなー」
「たのしかったねえ」
ユンデと夏緑はそんな言葉を交わしながら帰り道を歩く。ほんとうはもっと打ちのめされるような感動が続いているのだけど、それを表す言葉をまだ二人は持ってない。
「こういうのがまたあればいいなあ」
ユンデはぽつりとつぶやく。頭はいつのまにか明日にでも訪れるだろう次の冒険のことを考えていて、わくわくすると同時に、なんだかじわりと胸が温かいような、ふるえるような気持ちになる。“こういうの”がどういうものかは上手く言えないけれど、それがずっと続けばいいと、ユンデは思う。
それを平和と呼ぶことに、平和の中で生きているユンデたちは気づかない。でもそれで構わない。ここはカムタナクニ。彼らはカムタナクニの子どもたち。無理して難しく生きる必要はない。寝て、起きて、遊んでいればまたきっと冒険が始まる。
次の冒険はなんだろう。まあいい、まあいい。そんなに急くことはない、その冒険が始まった時にゆっくり話そう。
それでは、また。