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思惟ノート

天然パーマとオッサンを応援する、天然パーマによるブログ

ユルバンを気にかけることしばらく 【第5回】短編小説の集い

 


【第5回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」

 

タイトル『ユルバンを気にかけることしばらく』

5,000 / 5,000字

 

 

 ユルバンが猫になったと聞いてヒムトはたいそう驚いた。

「だってあいつ、絶対人間になるって言ってたじゃんか」

「そうですね」

 キンカは淡々と答える。

「直前で気が変わったのかもしれませんし、希望が通らなかったのかもしれません」

「そういうものかい」

「そういうものです、たぶん」

 しかしあのユルバンがねぇ、とヒムトはあごに手を当て考える。と、向こうに天使長が歩いているのが見えた。長い白髪に長い白ひげ。大きな翼を背負い、年老いてなお恰幅のよさを保った男性、に見えるがこの人も天使と言うからには両性具有なのだろうか。いや、無性か? ヒムトは天使でないのでよくわからぬ。が、今気になるのはユルバンのことだ。

「ちょいと天使長様に尋ねてみようぜ」

 ヒムトはキンカの腕を引っ張り天使長に向かっていく。

「おおい、天使長様ァ、こんにちは、えと、ごきげんよう」

「やあ、ごきげんよう」

 天使長はにっこり微笑んで答える。

「あの、ユルバンが猫になったと聞いたんですが、本当ですか」

「ユルバン、ユルバン……うむ」

 天使長はユルバンを思い出せないようだ。日頃途方もない数を相手にしているのだから無理も無いが。

「こんな顔です」

 キンカはそう言いながら目を閉じる。ユルバンを思い浮かべているのだろう。

「おおユルバン! あのユルバンか! そうだな、ユルバンは猫になった」

 天使長は合点がいったようで晴れやかな顔だ。

「あれまあほんとに」

 ヒムトが間の抜けた声を出す。

「して、どうしてユルバンは猫になったのですか。次も人間がいいって言ってたんですユルバンは」

 ヒムトは気を取り直して尋ねる。

「ううむ、ユルバンはなぁ、私の担当ではなかったからなあ」

 天使長が申し訳なさそうな顔をする。というよりもしょんぼり、という表現の方が似合う。

「そうしますと、閻魔様の担当ですか?」

 キンカが穏やかな声とともに首を傾げる。

「いかにも」

「えー」

 天使長が答えるやいなや、ヒムトが不服そうな声を挙げた。

「なんだ?」

 それを聞いて天使長が眉をひそめる。

「いえ、なんでもありません。ありがとうございました失礼します」

 ヒムトはそう告げるとまたもやキンカの腕を引っ張り、そそくさと天使長の前から立ち去った。

 

「閻魔様のところに行くんですか?」

「いやだよあの人こわいもん。おっかない」

「さいですか」

 ふたりはあてもなくてくてく歩いて行く。この辺りは花々がそれはそれはそれなりに咲き乱れ、天候も極めて穏やか、散歩に大変適している。端的に言うと麗しい。

「端的に言って麗しいなこの辺は!」

 ヒムトが元気よく言う。元気が良すぎてあまりこの辺にそぐわない感がある。

「そうですね」

 キンカが穏やかに言う。その穏やかさときたら春の日の木漏れ日を小川のせせらぎで溶いてミルクと一緒にスープにしたような趣で、この辺に極めて相応しい感がある。そんなふたりが歩みを続けていると、前方に見覚えのある人影が見えた。

「あれは閻魔様ではありませんか?」

 キンカが目を細めながら言った。ふたりはそっと近づく。やあ、この距離なら目をこらさずともわかる。熊のような体躯。顔の輪郭から飛び出すタワシのような黒ひげ。閻魔然としたあの服装。誰が見紛おう、彼の人こそ閻魔様である。

 しかし挙動がおかしい。大きな身を縮こまらせてしゃがみこんでは左右に揺れている。よく見ると小さなじょうろ片手に花々に水やりをしている。にこやか。上機嫌。もっと言うと微笑ましい。

「なァ、閻魔様って怖い人ではないかもしらん」

「そうですね」

「なかなかいい人かもしらん」

「そうですね」

「ユルバンについて聞いてみよう」

「そうしましょう」

 しかしまだ少し怖いのか、ヒムトは閻魔に向かっておずおずと近寄っていく。キンカはしなやかに背筋を伸ばしヒムトの後ろを付いていく。

 閻魔もふたりに気づいたようで顔をあげる。

「ど、どうも閻魔様。ごきげんよう」

 ヒムトがそう声をかけると、閻魔もそれに答えるために口を開いた。

――おう、ごきげんよゥ。今日はどうしたァ。

 これはなんという大音声。青銅の鐘を頭に被って遊んでいる時に稲妻が直撃するとこんな響きになるのではなかろうか。

「ひィ、はぁ、ユルバンが猫になったと聞いたのですが」

 ヒムトがやっと言葉を口に出す。鼓膜が痺れているせいか、いつも通りに自分の声が聞こえず喋りづらいのだ。

――おう、ユルバンかァ。確かにユルバンは猫になったぞゥ。

 再び閻魔の声が轟く。心臓に直接響くかのようだ。キンカは口を真一文字に結んで目を見開いている。かわいそうに空気の振動が表情筋に直撃したのだろう。

「ひぇ、やはりそうなんですね。ありがとうございます失礼します」

 ヒムトがそう答え、ふたりは閻魔のもとから退散した。

「いかん、いかん、何も聞けなかった」

「いや、はや、凄まじかったですね。閻魔様がいつもやたら高い所に鎮座していらっしゃる理由が分かった気がします」 

「うむ、うむ、なるべく遠くで喋ってもらわんとな。いやあ本当に、なあ。花を愛でる閻魔様を遠くから愛でるくらいが丁度いい」

「同感です」

 

 しばらく歩いて鼓膜の働きもようやく常態を取り戻した頃、前方に小さな池が見えてきた。

「やあ、池ですよ。あそこからユルバンを探してみませんか」

「そうだな、そうしよう」

 ふたりは池のふちに膝をつき、水面の先の水中のそのさらに奥を覗きこむ。

「あッ、ユルバンだ! 産まれたばっかりじゃないか! 産まれて一週間くらいかなあ。かっわいいなぁアイツ」

「うわぁ本当ですねえ子猫ですねえ。黒と茶色のしましま猫ですねえ」

「いんやぁアレは黒でなくてこげ茶でないかい?」

「ああ確かにそうかも知れませんねえ。何はともあれかわいいですねえ」

 ふたりはしばらく子猫になったユルバンを嬉しそうに眺めていた。

「あぁ、アイツ、この先どういう風に生きてくんだろなぁ、気になるなぁ。幸せになるかなぁ」

「幸せになってくれるといいですけどねぇ。あれ?」

 キンカが何かに気づき目をこらす。よく見ると子猫のユルバンがどんどん成長していく。

「なんだか時間が早くなってませんか?」

「あれっ、ほんとだ」

「もう、ヒムトが急かすからですよ」

 キンカはヒムトを責めつつもユルバンから目を離さない。

「でも面白いですねえ。瞬きする度に成長していく」

「んん、でもさぁ、アイツなんか体調悪そうでないか?」

 ヒムトが不安げに言う。確かにユルバンは体の弱い子猫のようだった。一緒に産まれた子猫に比べあまり動きが活発でない。やがてユルバンはじっとうずくまることが多くなり、生後二、三ヶ月に差し掛かる頃だろうか、ひっそりと息を引き取った。

「ああ、ユルバンが死んで、死んでしまいました」

「あっさりと死んでしまった。あんなにあっさり。あんまりじゃないか」

 はあ、とヒムトはため息をつく。次に少し黙って、それからこう言った。

「そうだ。おいキンカ、ユルバンを迎えに行ってやろうぜ」

 涙ぐんでいたキンカが顔を上げる。

「そうですね。是非、そうしましょう」

 ふたりは元来た道を駆け戻って行った。

 

 正門は相変わらず魂でごった返していた。

「見つかるかな」

「そうですね、子猫が亡くなったのは産まれて間もない頃ですから、なんといいますか、まだユルバンの名残のようなものを感じられると思います」

「あー、あの感じか」

 ふたりはキョロキョロと辺りを見回し、しばし目を閉じ、そして同時に同じ場所に振り向いた。そこにはさっきのしま猫がいた。

「ユルバン!」

 きょとんとしている子猫に向かってふたりは駆け出した。

「ユルバン! ああ良かった会えた。おまえさあ、最期の時さ、苦しくなかったか? 痛くなかったか?」

 ヒムトはユルバンに両手を差し出しつつしゃがみこむ。ユルバンは未だ変わらぬきょとんとした面持ちでひとこと、みゅう、と鳴いた。

「みゅう」

 キンカが真似る。

「みゅうじゃわからんよー」

「ああ、もう言葉が通じないんですね。困りました」

「困った時の天使長様だ。探してみよう」

 困った時の天使長様。これはある種の合言葉だ。探せばすぐ見つかる。大抵のことには応えてくれる。ほら、今回も天使長はすぐに見つかった。ヒムトがユルバンを両腕で抱きかかえ、天使長に向かっていく。とっとっとっ、とキンカもその後を付いて行った。

 

 キンカは言う。

「いつも思うのですが、天使長様は毎度私たちの相手をしてくださいますよね。お忙しそうに見えるのですが、大丈夫なのでしょうか」

「こういう場所だからのう、ちょいと細工をしてな、時間軸上の一点において複数の空間に同時に存在しとるのだよ。ほれ、今もこうしている間にな、別の場所で他の者の生命選択を終わらせてしまったところだ」

「へえ、その魂は何になったのですか」

「深海生物だのう」

「はあ」

「人間が発見してないもんでまだ名前もないからのう。こんなんだ」

 天使長が目を瞑る。ふたりも瞑る。まぶたの裏側に未知なる深海生物が映る。

「こいつは何ともはや」

「へえ、興味深いですね! 興味深いですねこれは!」

 キンカが珍しく高揚している。

「生態も実に奇妙なのだ」

「おお、すごく膨らむ」

「へえ、すごいですね! 海水を取り込んで微生物なんかを食べてるんですかねえ!」

 ふう、と呟き天使長が目を開く。

「ああ、見えなくなってしまいました……」

「そうだそんなことよりユルバンのことだよ。あの、天使長様、こいつ、ユルバンです」

 ヒムトが腕に抱いていたユルバンをひょいと掲げる。みゅう、と子猫のユルバンが鳴く。

「おおユルバンか、早かったのう」

「そうなんです、こいつ、体が弱かったみたいで。小さいうちに死んでしまったんです。えと、なんだっけ……。そう、まず気になっているのはユルバンの最期が穏やかなものだったかってとこなんですが」

「ふむ。訊いてみるから待っていておくれ」

 天使長はそう告げると、ユルバンに向かってにゃあにゃあと喋りかけた。

「ううむ、なかなか貴重な光景だ」

「微笑ましいですね」

  しばらくのち天使長はこくこくと頷き、ヒムトらの方を向いた。

「うむ、少し苦しかったがすぐに楽になり、穏やかに眠っていたらここに着いていたようだ」

「ああ、それならまだ幸いだ」

「苦しまなくて良かったですねえユルバン」

 みゅう、とユルバンが鳴く。それを眺めながらヒムトが口を開く。

「もひとつお聞きしたいんですけど、なんで猫になることを選んだか、ってのはもうユルバンも覚えてないですよねえ?」

「そうだのう。さすがにな」

 天使長が答える。次いで、キンカが口を開いた。

「そういえば、ユルバンは次の生命選択はどうするのですか? こんなに小さいと、次に何を選ぶか、なんていう意志もあまりないと思うのですが」

「こういう時には別のやり方がある」

 そう言うと天使長はふう、と息を吹いた。その息に乗って、いくつもの光の球がユルバンの前に現れた。赤いのや青いの、その他にも様々な色の光が、たくさん。

 天使長がユルバンに向かってにゃあにゃあと何事かを説明した。ユルバンはうろうろと光の球の前を行き来し、緑色の球にこつんと前足で触れた。それから、白と茶色の球に、順にこつん、こつんと。そして振り向いて天使長を見上げた。みゅう、と鳴く。

「ユルバンは樹になるぞ」

 天使長がふむふむと頷きながら言った。

「樹、ですか?」

 キンカが尋ねる。

「そうだ。大きく育つ樹だ。さて、ユルバンはここに長く居る気もないようだ。私が連れて行くが、良いかな?」

 それならば仕方がない。ふたりはユルバンの頭を撫で、新しい門出を祝福する言葉を贈った。ユルバンはその言葉を理解していないだろうが、気持ちよさそうに頭を撫でられていた。

 

 「そろそろお前たちも次の生命選択を考えておく時期だ。まあ好きなようにな」

 天使長はそう言って翼を広げ、ユルバンを抱えて飛び去っていった。

「次の生命かあ」

「ヒムトはどうするつもりですか?」

「んー、ここで色々見てきたからなあ。なんでもいいような気もするなあ」

「ああ、なるほど」

「でもユルバンは次、樹だろ?」

「ええ」

「植物もいいよなあ。んー、北欧の、深い森の……苔とか」

「ああ、それはいいですねえ」

「キンカも一緒に入ろうぜ」

「いいですねえ」

「ゆっくり生きよう」

「そうですね」

「なー」

「ええ」

 

 それからふたりは連れ立って、これで何度目だろう、天使長を探しに行った。自分たちの選択と、これまでのお礼、そしてしばしの別れを告げに。

 ありがとう。さようなら。それでは、また。

 

 

 

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