思惟ノート

天然パーマとオッサンを応援する、天然パーマによるブログ

老いていく町

 

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数年ぶりに実家に帰った。

8月の田舎町はうだるような暑さだった。

 

そう、私の実家は、なかなかに田舎だ。

よく遊びに行った隣町さえ、帰省するたびにシャッターで閉ざされた店が増えている。私が子どもだった時分には栄えて見えたものだったが。

 

もちろん交通の便も悪い。ハワイにでも行く方が時間がかからないだろう。せっかく休みを取っても片道の交通だけで丸一日潰れる。そんなわけで、実家にいられたのは二日程度だった。

 

そのうちの一日目は祖母の様子を見るため、午後から祖母のもとへ向かった。齢90を超えているというのに元気なものだった。祖母と話している間、私はずっと祖母の手を握っていた。老人特有の脂の少ない乾燥した手。たるんだ皮膚の柔らかさがなんとなく好きだ。

長生きしてくれよと私が言うと、祖母は、お前も元気にしてないといかんぞ、と私の手をパシンパシンと叩いた。

 

祖母のもとを発ち、実家に戻るともう日が暮れていた。丸一日実家でゆっくりできたのは、二日目だけということになる。

 

 

二日目は母に朝早く起こされ、朝食を食べたあと携帯ゲーム機でゲームをした。小さい頃、学校から帰ったあとに、父親の目から隠れてゲームボーイで遊んだことを思い出した。

今や私ももう大人だ。自分の責任のもとにゲームをするので、親の目から隠れる必要もない。

 

窓の外には青い空と白い雲、そして緑の山が見える。部屋の中まで侵入してくるのは蝉の声だ。それを聞き流しながらゲームをする。なんだか随分と長い間、夏を忘れていた気がした。忘れていた「夏休み」の中にいる気がした。

 

それなりに長い間ゲームをしていた気がするが、まだ正午をすこし過ぎただけだ。ゲームをやめて小説を読んだ。小説を読むのも久しぶりだ。夏の中で小説を読むのは、ほんとうに気持ちが良かった。

 

こんなにいい天気なのにずっと家の中にいるつもりかと父が言う。それもそうだと思い、もう少し日が下がったら散歩に行こうと思った。

 

 

17時を少し過ぎて散歩を始めた。まだまだ夕方を感じさせぬ明るさだ。坂を下り右手に向かう。昔よく泳いだ川がある。生活排水か繁殖した藻かわからないが、昔よりいくらか淀んで見えた。この中で泳ぐ気にはあまりなれない色だ。川の中ほどで鷺が羽を休めていた。昔よく見た光景だ。今も変わらず居るんだな、と思った。

 

そのまま川沿いに土手を歩いて行く。川と草木と山と空が見える。川向こうの国道には車が走っているが、歩いている人はほとんど見ない。少しの人工物の他には、自然ばかりがある。

 

しばらく歩いて折り返す。家の前の坂道を横目に、今度は反対側へ歩いていく。こっちは小学校へ登校する時に毎日歩いた道だ。両側に田んぼが広がっている。日差しを遮るものがないので暑い。

 

田んぼの中を突っ切る道の向こうに、小学校が見える。昔、小学校の裏山で子うさぎを捕まえたことを思い出した。学校で飼いたかったのだが、先生が親のもとに帰してあげましょうと言うので山に帰した。今思えば、親からはぐれ、ニンゲンの匂いのついた子うさぎは何日生きることができただろうか。

 

小学校の見える田んぼ道。草木も山も川もある。生命を感じる。だのに人がいない。活気がない。この土地は自然に近づく代わりに、町としては老いている。若者は巣立つばかりで残された者は年齢を重ねていく。新陳代謝が衰えている。

 

私はこの町で幼少時代を過ごせたことを嬉しく思う。だからこそ時代に取り残された今の町の空気に寂しくなる。しかし、だからと言ってこの町に戻って暮らす気にもなれない。故郷を裏切ったような後ろめたさを感じる。

 

空気が熱い。田んぼから立ち上る水気のせいか、どろりとしたぬるま湯の中にいるようだ。滲む汗が余計に体と外気の境界を曖昧にする。母の胎内にいた頃の環境を、少し過酷にすればこのような感じだろうか。

 

私はこの町が好きだ。でもこんな町には居たくない。この町のこんな姿も見たくない。ゆっくりと胸が張り裂けるような心持ちになる。私は私が生まれたこの町の、老いていくこの町の、熱い空気の中にとろりと溶けて消えてしまいたいと思った。