「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
夏目漱石の小説(青空文庫版)に出てくる有名な台詞。
確か初めてこの台詞に触れたのは高校の現代文の授業だったように思う。
太字でも赤字でもなく下線すらない一文が、やたらと胸に響いた。
たぬきのような風貌の国語教師(♂)による
「いいですか?ここで先生はKに言い返したんですよ!
『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』!
『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』!ホッホッホ―ッ!!!」
という、いくぶん愉快な紹介の仕方も大きかったように思うが。
ところで、言葉だけで人の琴線に触れることはたいへんに難しいけれど、言葉だけで人の生き方を変えることはもっとたいへんに難しいと思う。僕もこの台詞にはずいぶんとしびれたけども、その後だいぶん長い間、僕は精神的に向上心のない馬鹿だった。
なんというか、向上心は持っているつもりだけど、その実 自分の弱さに対してマゾヒスティックな愛着と幼稚なうぬぼれを持ち、それに甘えて欠点を正そうとしない的な?
簡単に言うとさ、
「俺ってほんとダメ人間なんだよなー、いやマジもっといい人間になれるよう頑張るわー」
みたいなこと言っておきながら、内心では
「でもそういうダメな自分が好きなんだよね―。ってかむしろそういうダメなとこが逆に魅力っていうか?」
みたいな感じに思ってたんですよあの頃は!くたばれ!
そういう人まわりにいませんか?俺だけ?
思い悩み苦しむ姿こそ人間的で美しい!みたいなね。
そうも言えるかも知れんが、それが自分の欠点を放置する理由になんざなりゃしねえっての。あー恥ずかしい。
馬鹿の恋愛
さて、そんなわたくしは恋愛様式もダメダメでした。
基本理念は「自分と完全に『合う』人が必ずいる!」というもの。
だから「価値観の違いとかでケンカするのは『合わない』相手ってこと」、「さっさと別れて『合う』相手を探したほうがいい」なんて本気で考えてたんすよ。
彼女とケンカして泣きながら「俺、彼女に合わせられるように変わりたい」と言う殊勝な友人を軽く見下してたりしましたからね。
「相手に合わせて変わる!? 相手が自分と合わないんだったら別れりゃいいのに。なに馬鹿いってんだこいつ」なんて思ってね。
あれやね、童貞の思考やね。
このような信念が行き着いたところは、
「こんなダメな俺でも、すべて受け入れてくれる人が必ずいるはず!」
というもの。
……
…………
………………
ばかたれーーー!!!
誰が受け入れるかこのクソ天然パーマが!恥を知れ!未熟者!不埒者!
書いてて腹たってきた!
マジであの頃の俺はさぁ!
馬鹿でさぁ!
天パでさぁ!(今もだけど)
チビでさぁ!(今もだけど!)
ところがどっこいそんなダメダメだったおいどんの前にも、めちゃくちゃ『合う』人が現れたんですよ。何を話しても楽しいし、何をやっても愉快だし、どこに行ってもハッピーさ。僕はこれでもかと言わんばかりに舞い上がりました。
舞い上がりすぎた結果、気圧の変化に耐え切れずに、脳がとろけてしまったのです。そして、「この人なら俺のすべてを受け入れてくれるはず!」と思い込んでしまったのです。
僕はその人に対し、全力で良いところを押し出したし、全力で悪いところも押し出しました。良いところも見せたからね、結構楽しく遊んでる時期もあったんですよ。でも悪いところもさらけ出していたので、その人にちょっと距離を置かれる瞬間もある訳ですよ。
そしたらさ、普通は「あれ、なんかダメなことしたかな?反省して直さなきゃ」と思うんですが私は違った。
「ああ!嫌われてしまったのかな!?ツラい!」と思いつつも「俺 今 悩んでる!人生充実してる!」という謎の充実感を感じていました。
思い悩み苦しむ姿こそ人間的で美しい!と信じていましたからね。謎理論ですよね。
なんていうのかなー、ホラ、リストカットする人は、痛みや血が生きているという実感を与えてくれるから手首を切る、とか言うじゃないですか。
俺はリストカットしたことはないけども、言いたいことはなんとなくわかる。
痛みって「この傷を放置してるとやばいぞ!」っていう体からのサインじゃん。だから痛みを感じてるうちは死んでないんよね。生命が抗ってんだな。
心の傷も同じでさ、俺も心の痛みに対して何か甘美なものを感じてたんだよなー。
「痛い痛い痛い、ああコリャ生きてるわ俺」ってなもんや。
だから悩むのが好きだったんだよね。
でもさー、自分の傷をナデナデしてる方はいいかもしれんけどさー、甘美かもしれんけどさー、傷を押し付けられる方はたまったもんじゃねえですよ。
だから俺は完膚なきまでにフラれたんじゃ。
そうして独りの冬が来て、温め合う相手もいないので、とろけていた俺の脳もようやく冷えて固まった!やったぜ。
馬鹿な天然パーマから普通の天然パーマに変われたかしら
プルンと固まった俺の脳が導き出した答えはこちら!くらえ!
- 自分のすべてを受け入れてもらおうとしたが、それは自分の欠点から目を逸らし、向上心を捨てているだけだった。
- 早くもめんどくなったので箇条書きはやめます。
よくある言い回しだけどさ、今よりもいい男になって見返してやろう!と思ったんよ。せめて将来どこかでばったり会った時に、恥ずかしくないような男になろうと思ったんよ。
そして変わろう、成長しようともがく中でふと気づいた。なぜフラれる前にそう思えなかったのかと。
そこで初めて、好きな人には、なるべく自分の良いところだけを見せるべきだという、とても当たり前のことに気づいた。
やっぱさー、自分のダメな部分とか心の傷を受け入れてもらいたいって気持ちはどうしてもあるじゃん。
でもさ、ダメな部分を直そうともせず開き直って「受け入れろ」ってだけ言うのはさすがに腹立つじゃん。
ダメな部分を直そうとあがく、そんくらいはしないと受け入れてもらえないよ。
腹立つもん。
ダメな部分は少しくらい見せてもいいけど、ちゃんと直そうとする。そんで好きな人にはいいところを見せられるよう頑張る。そうやってどんどんいい人間に変わっていくのが向上心ではなかろうか。
すべての人から見て完璧な人間にはなかなかなれんけどさ、せめて好きな相手には素敵な人と思ってほしいじゃん。
なんか上手くまとまらねぇな
なんだろな、思い悩み苦しむ姿が美しいってのはさ、その悩みから開放される、その悩みを克服するっていうカタルシスが期待されるからじゃないかな。どうだろな。
マジで克服できない悩みとかは今回のお話の範疇じゃないよ。ごめんね。
俺が腹立つのは欠点を直せるのに直そうともせずグチグチ悩んで行動せん輩じゃ!
つまり大学1年の頃の俺じゃ!
よく「昔の自分に会えたら何と言いますか?」とかいう質問があるけど、あの頃の自分に会えたらとりあえず何も言わずにぶん殴るわ!
そんでこのクソ勘違い天パ野郎が!って言うわ!
あとヘアアイロンは180℃以上出るやつ使ったほうがいいよ!って言うわ!
はー。
いやなんか読み返してみると説教臭い内容になってしまったな。これはいかん。もっと飄々としたい。
高田純次とスナフキンを足してカフェオレで割ったようなおっさんになれたらベストかな。姓はタナオレ、名はスナンジ。そういうオッサンが出てくる物語をいつか紡ごう。
ご注意
この記事の中で俺がやたら激おこぷんぷんしてんのは自分に対してだかんね。途中でも書いたけど、克服しようのない悩みを抱えてる人は気にしないでね。あとうつの人もね。うつ状態に陥ってると普通の部分まで欠点に見えちゃうからね。頑張った方がいい時もあるけど、心が弱ってる時は努力が毒にもなるもんね。いいよいいよ、取り敢えず一緒にカラオケにでも行こうぜ。
じゃねー。
- 作者: トーベ・ヤンソン,ユッカ・パルッキネン,Tove Jansson,渡部翠
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