読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

思惟ノート

天然パーマとオッサンを応援する、天然パーマによるブログ

死にたくなるからかーえろ

思惟

ちょっとさ、最近さ、人生で一番悩んでんだよ。

でもって、死にたい、なんて思わずつぶやいてしまう。

 

だけど俺はまだ死にたくない。まだまだ生きるぞよ。死ぬものか。

 

じゃあなんで死にたいなんてつぶやいてしまうのだろうか。「死にたい」の正体はなんなのか。

 

俺が死ぬってのは! この世界にとっては俺の存在が消えることだな? では、俺にとっては。俺にとっては俺の意識が金輪際断絶することで、俺の世界が消えることで、この世界との関わりを永遠に断つということだな。なるほど。

 

であるからして! であるからして、「死にたい」というのは「世界死ね」ということか? もっと言うと「俺の思い通りにならない世界は消えてしまえ」と。それを裏返して死にたいなんてのたまっているのか。

 

でも世界が死んだら俺の好きな人たちも死ぬな? それは嫌だな。俺と世界との関わりを金輪際断つという意味では、俺が死ぬのも世界が死ぬのもさほど変わらんが。だけども一切合切の人の可能性を奪うほどの勇気は俺には無いのだ。

 

それでひっそりと消えてしまいたいと思って、死にたいとつぶやくのか。でもホントに死にたい訳じゃないんだよ。せいぜい「もうちょっとうまくいかないものかな」程度の気持ちなんだよ。そのくせに、消えてしまいたいという思考にすぐ結びつくのはなぜなのか。

 

しかも「死にたい」や「消えたい」であって「自殺したい」じゃないんだよな。隕石でもぶち当たってあっという間に俺を消去してくれねえかな、みたいな他力本願なニュアンスがある。自分で自分を殺してしまう勇気は無い。そこまで思い詰めてねぇ。そんなマイルドな苦悩がエクストリームな言語表出をするのは何故だ。

 

もういいか、そんなところはもういいか面倒くせぇ。取り敢えず、死にたくなったら「今日は世界との折り合いが悪いな」とつぶやくことにしよう。実際俺の「死にたい」はそんくらいの意味だな。

 

ちくしょう今日は世界との折り合いが悪いな。ちくしょうめ。

 

なんだか詩的で素敵じゃん? そうして自己肯定感が少し上昇し、自己陶酔をもたらし、気分をややポジティブにする効能もありそうだな?

 

ちょっと世界との折り合いをつける努力をしてみようかな。してみようや。

 

今日はこの辺だな、あばよ! あばよ! あばばばば

 

 

 [広告]

解体ピアノ

解体ピアノ