思惟ノート

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魂の後味 【第24回】短編小説の集い

 

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タイトル『魂の後味』

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 葉太郎さんは、私を六花という名ではなく、お雪さんと呼んだ。
「六花、って雪の結晶のことなんでしょ? お雪さんって呼んでいい?」
 その古めかしい響きはなんだか素敵だと思ったし、そんなことを言う人も、同様に素敵だと思った。私は葉太郎さんのことを知りたくなって、思い切って食事に誘った。葉太郎さんは金目鯛の煮付けを口に運ぶと、眉間に皺を寄せ、遠大な悩みでもあるかのような顔をして咀嚼を続けた。怒ってるの? と私が聞くと、「ああ、怒ってるんじゃなくて真面目になってんの。美味しいものを食べてると、なんでか本気になっちゃってさあ。もう必死で味わってんだ」と言って、葉太郎さんはエヘエヘと笑った。
 食事を終えたあと、近くに小さな動物園があったのでそこに行った。葉太郎さんはハシビロコウの檻を見つけると、子どものように駆け寄って行った。檻の中には、大きなくちばしを持つ鳥が気難しそうな表情をして、微動だにせず佇んでいる。ハシビロコウの真似、と言った葉太郎さんはきっかり一分間、檻の前に突っ立っていた。ハシビロコウの、気難しげな顔を真似しながら。その顔が金目鯛を食べてる時と同じなことに気づいて、私は笑った。葉太郎さんも笑った。それでもう私は葉太郎さんを好きになってしまって。
 その後も何度か食事に誘ったり誘われたりして、好きですと言い、俺もですと言われ、葉太郎さんは私の恋人になった。
 
 時に二人で同じベッドに入る。葉太郎さんが言う。
「お雪さんはホントに美しいよね」
 なんでこの人は真顔でこんなことが言えるのだろう。そんなことないよと言っても「お前は美しいだろうが! 自分でもわかってんでしょ?」なんて返される。私を見るときの葉太郎さんの目には、きらめく鱗でもはまっているのだろうか。
「こんなに綺麗で素敵な人がなんで俺なんかの隣にいるんだろう。不思議な話だ」
 葉太郎さんが素敵な人だからだよ、と答える。
「そうかあ?」葉太郎さんは心底納得がいかなさそうな様子だ。「うん……お雪さんが男の魂を食べる妖怪の類でさ、俺の命を狙ってる、って話の方がまだ納得できるよ。ねえ、お雪さん妖怪なんじゃないの? 俺を取り殺そうとしてるんだ」
 妖怪なんてひどい、と思った私は、取り殺してほしいの? と聞いた。
「お雪さんに殺されるなら本望さあ。そうだなぁ、俺がおじいちゃんになって、もしお雪さんの顔もわからないくらいにボケちゃったら殺してよ」
 私はふいにおじいちゃんになった葉太郎さんを想像してしまって、なんだかたまらなく愛おしく思えて、葉太郎さんの頭を枕から引き剥がすとぎゅっと抱きしめた。私の胸の中で、クルシイヨーなんて言ってるこの人と、おばあちゃんになるまで一緒にいたいと思った。
 私なんかを好いてくれるくらいにいい人だから、葉太郎さんの魂は美味しそうだね。透明な青葡萄の実みたいに、綺麗な緑色で、きっとすごく美味しいと思うな。私がそう言うと、葉太郎さんは私の胸から顔を上げ、「俺の魂なんかどす黒いぜ。きっと食っても美味くない」と言った。
「その点、お雪さんの魂は綺麗だろうな。俺なんかを好きになるくらい純粋な子だよお? なんか薄透明で、赤みがかってて。よくわからんけど、木苺の実を一粒とって陽の光に透かしたみたいな感じだきっと」
 木苺。木苺が実をつけるのはいつだっけ。よく知らないけど、いつか葉太郎さんと一緒に木苺を摘みたいと思った。
 
 葉太郎さんは「妖怪の類」という言い回しが気に入ったようで、時折思い出したように私に言う。仕事を終えて、合鍵を使って、私の部屋にやって来て、葉太郎さんを迎える私を不思議そうに見つめて言う。名前が雪の結晶ってくらいだから雪女かなんかの類じゃないかねえ、なんて。そうでもないとなあ、お雪さんが俺の側にいるってのが不思議だよ、本当に、なんて言って。そんなに言われると、私が側にいることがそんなにおかしいことなのですか、なんて思ってしまうじゃないですか。葉太郎さんには、もっと不思議な人が似合うんじゃないだろうか、なんて思ってしまうじゃないですか。ハシビロコウの真似を見て笑う私じゃなくて、一緒になってハシビロコウの真似をしてイヒイヒ笑うような。そんな人。
 それでも付き合ってからの三年間、葉太郎さんと一緒にいるのは本当に幸せだった。葉太郎さんが肩肘張らないから、側にいるのがとても心地よかった。
「ねえちょっと俺の息くさくない?」
 そんなこと恥ずかしげもなく聞いてくる人なんか初めてでびっくりしちゃったな。なんでも胃が弱いから、ちょっとしたストレスで息が嫌な臭いになるらしい。今日は大丈夫だよ、今日はちょっと胃が悪くなってる臭いがするね。付き合って間もない頃から、葉太郎さんとはそんな会話ができた。仕事が大変でとか、油ものの食べ過ぎかなとか、葉太郎さんが答える。
「お雪さんの息は大丈夫かな?」
 葉太郎さんがそう言って、私が慌てて顔をそむけて、葉太郎さんが私の顔を覗き込んで、二人できゃあきゃあ笑って。そんな日々。
 
 三年が過ぎた頃、葉太郎さんの話の中に、優しい先輩なる人物の名前が出てくることが多くなった。今日職場でナントカさんとナントカさんとナントカさんがね、みたいに話す時、いつもその人の名前が二番目に出てくる。他の名前は可愛い後輩だとか気難しい同期だとかその都度違うのに、大体二番目にその人が出てくる。最近長い髪をばっさり切ったらしいから、女の人だよね。髪をばっさりなんて、さては失恋でもしたのかな? 優しい先輩。 その人は葉太郎さんを見て笑う人だろうか。葉太郎さんと一緒に笑う人だろうか。その人の魂を、葉太郎さんはなんと形容するだろうか。
「今日の息は大丈夫かな」
 行ってらっしゃいのキスの後、葉太郎さんが言った。ちょっと胃の悪い臭いがするけど、キスの距離じゃないとわかんないから大丈夫だよ、と私は答える。
「なら安心だ」
 葉太郎さんが笑う。安心だ、って。私はあんまり安心できなかった。なんで胃が弱ってるのか、最近は聞いても曖昧な答えしか返ってこない。キスの距離、キスの距離……。葉太郎さんを玄関で見送った後、私も身支度を整える。その間じゅう、自分で言った言葉の意味を考えてしまった。
 
 私は葉太郎さんにいっぱい笑わせてもらってるけど、葉太郎さんを笑わせることは、あんまりできてない。そう思う。仕事を終えて私の部屋に立ち寄った葉太郎さんが、私が側にいることが不思議だとまた言うので、私も、葉太郎さんが私なんかの側にいてくれることが不思議だ、と言った。心底そう思ったから。葉太郎さんには、もっと一緒に馬鹿やってくれるような人が合ってるんじゃないのかな。私がそう言うと、俺がおかしなことしててもお雪さんは側でウフウフ笑ってくれるから、それだけで嬉しいんだよ、と葉太郎さんは言ってくれた。
「お雪さんは素敵な人だから、俺なんかの側にいてくれて、本当に感謝してるよ」
 そしてお決まりの妖怪談義。葉太郎さんは「お雪さんは魂を食べる妖怪なんだ」って言って、「魂食べて殺してね」って言った。私が、いつ殺してほしいの? と聞くと、少し考えて「いま」と言った。いま魂を食べちゃったら葉太郎さんが消えてしまう。私一人では、私と葉太郎さんの関係は維持できないんですけど。私が一人になって、おしまい。そうしたいくらい、私に言えないストレスが溜まっているのでしょうか。
 
 私は勘違いしていたのだと思う。葉太郎さんといると楽しくて、心地よくて、その理由を、私と葉太郎さんが丁度いいからだと思っていた。いや、そう思い込もうとしてたのかな。でもそれは違って、葉太郎さんは肩肘張らない人だから、大抵の相手と丁度よくやっていける人なんだろう。そして、そんな葉太郎さんが私に丁度よかっただけ。私が葉太郎さんに丁度よかった訳じゃない。葉太郎さんにはやっぱり、もっと葉太郎さんに丁度いい人がいるんじゃないかな。葉太郎さんだって気づいてるんじゃないかな。
 そう考え始めた私にはもう自信なんかなくて、不安が募るばかりで、「その時」が来たって悲しまぬようにと、いつの間にか、葉太郎さんの嫌いなところをいつもいつも探すようになってしまった。葉太郎さんは目一杯笑わせようとしてくれてるのに、好きだよって言ってくれてるのに、葉太郎さんを責め立てるようなことばかり言うようになってしまった。毎回冗談めかしてごまかすのはやめて、って私が言った時、葉太郎さんは本当に悲しそうな顔をしていたな。どんな時も笑わせてくれようとするところが好き、って言ったのは私なのにね。私は葉太郎さんを嫌いになろうとする努力ばかりしていた。でも、心の底で、私が本当に妖怪であるなら葉太郎さんの魂を食べてしまいたいと、そればかり思っていた。この感情を割り切れるというのなら、思い切り叩き割ってしまいたかった。
 こうなってしまえばもう結末は見えたもので、その時は遅からず来た。葉太郎さんが、私に別れを告げる。こういう時の葉太郎さんはどこまでも真面目で、何度も何度も謝られた。伝え方がわかんなくて、きつく抱きしめすぎたのは私の方。私がこんなんじゃさ、これは当たり前すぎる帰結でしょ。だから私はいっそ罵ってほしかったのに、「好きなのに、ちゃんと好きになれなくて」なんて、「ごめん」なんて、そんなことを言われた。私の頭はぐるぐるしてしまって、私とサヨナラすることを決めたのはいつだろうって、そんなことばかり考えていた。私がこんなになってからかな。こんなになる前の私のことは本当に好きでいてくれたかな。私の隣で笑うのが、義務に変わったのはいつだったのかな。無理やり好きって言わせてたのは私のくせに、最後のホントの「好き」はどれだったのかなんて探してしまって、ぐるぐるぐるぐる。ああ、また葉太郎さんがごめんねって言ってる。もういいからさ、こちらこそ、こちらこそ、うまく愛せなくってごめんなさい。
 
 葉太郎さんとお別れしてからはずっと泣いていた。窓から陽が射して、光に満ち溢れた日が来ても、うつむく私の目の前の翳りを濃くするだけだった。何を考えようとしても、葉太郎さんとの思い出に容易く結びついてしまう。もう嫌だって思って、でも葉太郎さんもそう思ってたのかなって、最後に会った時のことを思い出す。最後にキスをしてほしかったけど、それは断られた。代わりにお願いして、少しだけ抱きしめてもらった。あの瞬間に、私が鼻先をうずめた胸板から、葉太郎さんの魂を食べてしまいたかった。
 でも浮かぶのは、抱きしめる時の葉太郎さんの戸惑った顔。別れを選ぶ直前の葉太郎さんは、私とのキスも、私とのハグも、私の笑顔も、全部全部、戸惑っていたんだろう。なのにいつも笑っていてくれて。本当に、ありがたいな。こんなこと思っても今更だね。葉太郎さんがそこにいないのに、ごめんね、って言ってしまう。
 魂を食べたのはそっちじゃないか。かじられて欠けてるんだろう、まだ痛い。それともやっぱり私が食べたのだろうか。今のこの気持ちが、葉太郎さんの魂の味か。私がかじったあなたの魂が、この体から消えるのはいつだろう。いや、消えなくてもいいか。葉太郎さんはきっともう、優しい先輩あたりと付き合っているんじゃないかな。私がいなくてもきっと笑ってる。だけど私は、お雪さんと呼んでくれた葉太郎さんの思い出を、時折取り出して慈しむことにする。 私はここで、ごめんねとありがとうを葉太郎さんに言う。―― ああ、今気づいた。私の中にごめんねとありがとうが溢れている。だけど、私のこの声は届かなくたっていい。それでもいいやと笑えるから、この気持ちは諦めじゃなくて、愛情というものの少し不思議な過去形なのだろう。
 葉太郎さんはきっと元気にしてるだろうから、ひとつだけ願わくは、私がこんなことを綴っていることを知らないでいてほしいな。あなたはあなたに丁度いい、少し不思議な素敵な人と、美味しいものを食べて、難しい顔をしていてくれればいい。
 
 
 

 

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