思惟ノート

天然パーマとオッサンを応援する、天然パーマによるブログ

私の愛はちょっと重いようですので

 

 

尽くしたいし貢ぎたい。

尽くせるし貢げる相手がいないと行き場のない愛情が爆発して誰かれ構わず「頼ってください」「これいりませんか」「つまり構ってください」とぞ言ってしまふ。

なんということだ。私はこの歳になっても誰かを愛さないと自分の心を保っておれないのだ。

 

ひとたび相手が決まれば愛情をどうどうと注いでしまうのでそれは相手にとって重し。

しかし湿っぽく、かつ私を愛してくれる人であれば受け止めてくれる可能性あり。

 

愛しています。私もです。そうですか嬉しいです。

こんなに素敵な人だから私はあなたを愛しています、と私は言う。

そして私の重い思いを受け止めて「私もです」と言ってもらえたならばもう、こんな素敵な人に愛されるからには私も素敵に違いないと思えるのだ。

つまりはアイデンティティの支えを希求するための恋愛なのか。

 

よくわからなくなってきた。

とにかく、愛情表現をして、「いや重いっスやめてください」って言われたら悲しいので、

愛情表現を受け止めてくれたらありがたいという話にすぎない。

 

柴犬になりたい。

ご主人が仕事に疲れて帰ってきて、クンクンと足元にまとわりついて頭を撫でられたい。ご主人が寂しい時だけでもいいから愛情を注がれたい。

しかし言葉が通じるでもなく、「ご主人はなんでこんなにしんどそうなのだろう」「ご主人と同じ人間になれればもっと力になれるのに」と思い、人間に生まれ変わりたいと願う。

そして願い叶い人に生まれ成長し柴犬を飼い職に就き、仕事に疲れて帰って来て柴犬に愛情を注ぎ癒やされるのだ。

そしてつぶやく「お前は本当に可愛いな、生まれ変わったら俺は柴犬になりたいよ」

そうやってまた柴犬に生まれ変わるのだ。

輪廻があるならそういうのがいい。

 

愛させてくれよ。そして愛してくれよ。

愛させてくれる人がいる人はその幸せを忘れぬよう、一日一回は噛みしめること。よいな。

グニグニと奥歯に挟まれて弾力を示すソレの味をとくと味わえそして思い出せ私は幸せなのだなと。よいな。

それではみなさんごきげんよう。

おやすみなされ。