思惟ノート

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光見る夜 【第2回】短編小説の集い

 


【第2回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」

 

 

タイトル『光見る夜』

4,804 / 5,000字

 

 

 その夜旅人は、ハルシノの草原で矢をつがえる少年を見た。今夜の空は藍色だ。しかし満月にほど近い東の空に目を向けると、湧き水で薄めた様な遠くて暗い水色になる。自分を照らす満月に立ち向かうように、少年はアマガユの山に弓矢を向ける。まだ幼いその姿に弓矢は似合わない。それ見ろ、上手く矢が飛ばないではないか。旅人は苛立つ少年の横顔を眺める。少年が再び矢をつがえようとした時、旅人は少年に声をかけた。
「おおい、何をしているんだい」
 少年は声のした方を見やる。夜色の影がこちらに手を振っている。影は草原の上をトントンと跳ねるように少年に近づいてくる。影が少年のいる丘まで登ってきた時、少年はその正体が藍色のローブを着て大きなリュックを背負った男であることを理解した。
「やあ、こんな時間に何をしているんだい」
 旅人は再び尋ねたが、少年は突然の邪魔者に戸惑っている。
「あ、ごめんごめん。僕の名前はハルセ。ここらを旅してるんだ。野宿でもしようかと思ってたところなんだけど……。君の名前はなんていうのかな?」
 ハルセは腰を落とし、自分の頭を少年の目の高さに合わせる。
「……キウ」
 どうやら悪い大人ではなさそうだと判断し、少年は自分の名を告げる。
「キウって言うのか。やあやあよろしく。しかしこんな時間に、親御さんは心配するんじゃないのかい」
「寝てる間にこっそり抜けだしてきた。だからたぶん大丈夫」
 ほう、とハルセは眉を上げる。子どもが親の目を盗み夜の草原に向かうなど、旅人であるハルセからすればなんともわくわくしそうな状況に思える。だのにこの少年の切羽詰まった雰囲気はなんだろう。
「それで、ええと、君はここで何をしているんだい」
 好奇心旺盛な旅人は三度尋ねる。この好奇心が彼を旅に向かわせる原動力でもある。地を駆ける獣も空を翔ける鳥も見当たらないこの草原で、何を撃とうと言うのだろうか。ハルセは優しく微笑みながら答えを待つ。
「月を……」キウは言葉選びに迷いながらも自分の目的を伝えようとした。「月を、落とそうと思って」
「月を?」
 ハルセは思わず振り向いて山ぎわの月を見る。満月だ。まん丸で明るい満月だ。あの月を、その矢で撃ち落とそうと言うのか。
「あんなに月が明るいと、ユナエの星が見えない」
「ユナエって?」
「友達。ぼくの」キウの表情がこわばっていく。「しばらく前に死んだ」
 体が弱かったからと、キウは消え入りそうな声で言った。そうか、とハルセは思う。この少年の中ではちきれそうなのは哀しみか。ハルセはもう少しキウと話したいと思った。
 
「ユナエの星って、どのあたりにあるのかな?」
「あそこ。月の少し下」
 キウは東の空を指さした。月の少し下、アマガユの山の少し上。ハルセは目を細めてキウが指差す方を見るが、なるほど月の明るさで星など見えやしない。
「ユナエが死んで少ししてから、あそこに新しい星ができた。小さくて、ユナエみたいだった」キウはきっかけを待っていたかのように喋り出す。「ユナエは光るものが好きだった」
「光るもの?」
 ハルセは優しい声で素直に質問を重ねる。
「うん。泉とか、お日様が照ってるとキラキラ光るから。そういうのが好きでよく見てた」
「星も?」
「星も。よくここで一緒に見た。死んだら……綺麗な星になるから見つけてねって言ってた。それで、あそこにある星を、見つけられたから、良かったんだけど。月が明るいと、会えない。」
 キウはふるりと身震いした。スン、と鼻で息を吸う。
「だから、月を落とそうと思って」
 ハルセはふうむと呟いて、うつむいてしまったキウを見つめる。キウはまだ寂しさの置き場所がわからないのだろう。無理もない。だからと言ってそれを月にぶつけても報われない。ハルセは思案する。満月の夜だけ我慢しろなんて言っても筋違いだ。月はこの子の敵じゃない。
 
 ひゅうと風が吹き、ハルシノの草原がそよぐ。アマガユの山の上にあると云うユナエの星を探すように、ハルセの視線が揺らぐ。そして旅人はゆっくりと口を開いた。
「人は死ぬと星になる。でもキウ、月も星のひとつだって知ってるかい? あまりに大きくて気づきにくいけど」
 キウはうつむいた顔を上げ、ハルセを見る。その言葉の先を探るように。
「僕も色んなところを旅してきたけどね、月については色んな人が色んな考えを持っていた。例えばジャッコウっていう一族に話を聞いた時のことなんだけど……」
 ハルセはジャッコウから聞いた月の言い伝えについて語り始める。ジャッコウたちも魂は死後、星になると考えていた。そして月や太陽も例外ではないと。だけど、あんなに大きな存在だからただの魂ではないと考えた。ジャッコウの語り部によると、太陽はハルセ達が住む大地の親が星になった姿だそうだ。大地の生みの親。その魂であればあの強烈な光も不思議ではない。死してなお力強く輝き、子に恵みを与えている。そして、月は大地の兄弟だと語り部は言った。太陽のように恵みをもたらすことは出来ないが、いきものが寝静まった夜に大地のもとに遊びに来るのだそうだ。
「そうそう、ジャッコウたちから貰ったものがある」
 ハルセはリュックを肩から降ろすとごそごそと中を探る。キウが訝しげに見ていると、ハルセは小さな玉を取り出した。白銀の玉。月の光を受けてわずかに光っている。
「これが月で、大地に転がすといい音が鳴る」
 ハルセが玉を地面に落とすと、リォンリォンと不思議な音が鳴った。ハルセは玉が丘の下に転がらないように急いで取り上げ、にっこりと笑った。
「素敵な音だろう? 何でできてるかは忘れたけど、この玉の中にもうひとつ小さな玉が入っててそれが鳴ってるんだ。月が大地と遊ぶ音だってさ」
 リォンリォン。キウの頭の中で音が鳴る。キウはその音を静かな気持ちで受け止めた。ユナエと一緒ならば、キウはこの旅人の話をわくわくしながら聞いただろう。でも今はユナエのために聞いているから、そうもいかない。
「ジャッコウの話はとても興味深かった。月なんかたまに昼間にも現れるだろ? その自由な姿は確かに子どもらしいと言えば子どもらしい。でもね、僕はカジンテラ地方で聞いた話が好きだな。知ってる? カジンテラ」
 キウは首を横に振る。
「そうか、機会があれば行くといい。カジンテラで一番大きな街の迷路みたいに入り組んだ街並みは一度見ておくべきだ。迷路みたいになっているのは路地とかだけじゃなくて、いくつもの塔やそれらをつなぐ橋までもが複雑に絡み合っているんだ。でもね、街の中心だけは開けていて、こんな夜には綺麗なお月様を見ることができる」
 ハルセはひょいと月を指さす。キウは月を見つめる。少し眩しい。
「でも一番良かったのはその街の外から月を見た時だなあ。複雑な街のシルエットの上に浮かぶまん丸な月。互いが互いを引き立てあっていた」
 ハルセが語る言葉は旅のリズムだ。景色を眺める歩行のリズムで紡がれる言葉は、心地良い速さで鼓膜を打つ。さて、カジンテラの宿でハルセはこんな話を聞いたそうだ。星は魂の現れであるがその星もまたいつかは消える。そうなると魂はどこに行くのだろうか。カジンテラの人々は、それら魂の集まる最後の場所が月なのだと信じている。
「確かに月って静かで、墓地みたいな雰囲気があると思うんだ。綺麗に光るけど力強い訳じゃなくて、魂が集まってても不思議じゃない」
 キウも確かにそうかも知れないと思った。
「だからいま月を落としてしまうと、ユナエの魂や君の魂までも行き先を無くしてしまう」
 ハルセの言葉にキウの顔が歪む。哀しみが、寂しさが、また行き場を失くす。だって他に何をすべきかわからない。
「でも……ユナエは見つけてって言ってた。月が明るいと、見つけてあげられない」
「でも、月があっても君はユナエとつながることができる」
 キウの震える声を受け止めるようにハルセは言う。
「少し見方を変えてみよう。君はユナエの星を見ることばかり考えている。だけど、あちらから僕達を見ることだってできる」ハルセはゆっくりと言葉を紡ぐ。「つまり、君がユナエに見つけてもらえばいい」
「ユナエに……。でも、どうやって?」
「僕達は目でものを見る。そして星となった魂は目を持たない。でも、余分なものが無い代わりによく見えるものがある。魂だ」
 ハルセは手のひらを、そっとキウの胸に近づける。
「星に見つけてもらうには魂を燃やすんだ。煌々と燃える魂の輝きは星になった者たちにきっと届く。キウ、キウ、君は君の輝きで以ってユナエに見つけてもらうんだ」
「ぼくの、かがやき」
 キウはゆっくりと、その言葉の意味を探るように呟く。
「そう。優しいものは優しい色に。強いものは強い色に。君はユナエが見えるように、ユナエが忘れられてしまわないように月を落とそうとするほどに優しい。その優しさを向ける方向を見誤らなければもっと輝く。きっと今だってユナエには君の魂が見えている」
 ほら、とハルセは東の空を指差す。キウはハルセが指差す方をじっと見る。あそこから、ユナエが、こちらを見ている?
「そして大事なのは、君の光の中にあるユナエへの想いを絶やさぬことだ。それがユナエが君を見つけるための道標になる。ねえキウ。ユナエについてもっと話してくれないか。ユナエはどんな子だった? ユナエと君はどんな時間を過ごした?」
 ハルセは微笑む。彼の着る藍色のローブは夜との境が曖昧で、闇に溶けていくかのようだ。夜空にまで広がっていきそうな今のハルセなら、なんでも受け入れてくれそうに思える。しばしの沈黙のあと、キウは大きく息を吸って言った。
「ユナエは……よく笑う子だった。思い切り笑う時はなんでかいつも体が右に傾くんだ。また傾いてるよ、って言うとそれでまた笑うんだ」
 それからキウはユナエとの思い出を話した。ユナエの体がまだ丈夫だった頃、ハルシノの草原でよく追いかけっこをしたこと。アマガユの山に生えるアジリ木の実で作るスープを、ユナエもキウも大好きだったこと。体が弱くなってしまったユナエに代わって、幽紺水晶を見つけてきたこと。中に砂の混じったあまり質の良くないものだったけど、星空みたいだねって言って喜んでくれたこと。他にも、たくさん。
 
 ユナエについて語ることで、キウの中にいるユナエがより鮮明になる。キウの体は大地に触れているのに、夜空のユナエに近づいていく。ハルセの言うつながりってこういうことだろうか、とキウは思う。だけど。
「ぼくも死んだら星になるんだよね? その時は、ユナエの隣がいい」
 ぎゅっと弓矢を握りしめて、ぽつりとキウは言う。ハルセはそんなキウをちらりと横目で見る。
「そうだね。君もいつか星になる時が来る。その直前に君は最後の眠りに就くことになる訳だが……そうだな」
 ふむ、とハルセは呟き、しゃがみ込む。そしてキウの肩を両手で優しく掴み、まっすぐに目を見据えながらこう言った。
「キウ、君は新月の夜に眠れ。ユナエの星がくっきりと見える夜に。そうすればユナエに会えるだろう。君が魂を燃やしてユナエに見つけてもらえれば、そして君がユナエの光を見失わなければ、きっとユナエの隣で星になれるだろう。星は魂の名残りだ。君は星の前触れだ。君が優しく生き抜けば、きっと美しい星になる。楽しみにしているよ」
 キウは半ば茫然とハルセの言葉を聞いていたが、なんとなく意味はわかる気がした。何より自分を見据えるハルセの瞳の奥に光を見た。きっとこの光を目指せばいいのだろう。この光を魂に灯せばいいのだろう。こくりとキウは頷いて弓矢を地に置いた。月は空にあるままに、ユナエの星を感じていく。キウはそういう生き方をいま、ハルセから感じ取った。ふたりを照らす満月は中天に達している。東に視線を向けると、アマガユの山の上でユナエの星がちらちらと瞬いた気がした。

 

 

 

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