おれ「社会人バンドを始めようとしてさ、メンバー募集サイトにアカウント作ったんだよ。で、悩むのがアカウント名、すなわちハンドルネームな。本名は避けましょう、なんて注意書きがあるし」
ぼく「ほほう」
おれ「最近なんでかゴリラが好きでさ、『グッドゴリラ』っていう名前が浮かんだからそれにしようと思ったんだよ」
ぼく「いいじゃない」
おれ「でも何となく気恥ずかしくて、もうちょい当たり障りのないハンドルネームにしたんだ」
ぼく「なんでよ。いいじゃないのグッドゴリラ。グッドゴリラでいいじゃない」
おれ「なんか勇気が出なくて……」
ぼく「グッドゴリラでいいじゃない」
おれ「でもさ、グッドゴリラにしなくて良かったと思ってるよ、今は」
ぼく「なんでよ」
おれ「社会人バンドサークルのメンバー募集記事を見つけてさ、入りたいなと思って勇気を出してメッセージを送ったんさ」
ぼく「ほほう」
おれ「メッセージの書き出しでさ、『募集記事を拝読し、ご連絡いたしました』なんて書いててさ、ふと思ったわけ」
ぼく「ほい」
おれ「『募集記事を拝見しました、グッドゴリラと申します』なんてメッセージが来てみろ。びっくりするだろう?」
ぼく「びっくりする!」
おれ「ちょっと引くだろ?」
ぼく「なんでや! 興奮するわい! グッドゴリラやぞ!」
おれ「そ、そう?」
ぼく「テンション上がるわ! なんでグッドゴリラにせんかったの!」
おれ「だって、おれ、ゴリラじゃないし……」
ぼく「!」
おれ「グッドゴリラと名乗るドラマーからメッセージが来たらさ、すごいパワフルな人を想像するだろ?」
ぼく「そしてテンションがうなぎのぼる」
おれ「そんで実際に会ってみろ。ゴリラが来ると思ったらしょぼくれた小男が来た。相手はどう思うよ」
ぼく「海より深く落胆するね……」
ぼく「グッドゴリラを名乗ってはいけないね……」
おれ「グッドゴリラになりたいな……」
ぼく「どうしたらなれるかな……」
おれ「まずは強くあらねばならんよな」
ぼく「グッドゴリラだもんね。それはそれは強いだろうね」
おれ「好きな食べ物は王道のバナナ」
ぼく「どこ産のバナナだろうが分け隔てなく愛する」
おれ「泣かせたメスゴリラは数知れず」
ぼく「なぜならばただ一匹のメスを愛し、他のメスには目もくれぬから」
おれ「そして賢い。森の賢者と呼ばれてる」
ぼく「最近じゃ街でも賢者と呼ばれ始めた」
おれ「そんなゴリラになりたいけれど……」
ぼく「ぼくたちはゴリラじゃない……」
おれ「グッドゴリラには決してなれない」
ぼく「でも、無理することないよ!」
おれ「?」
ぼく「だったらなればいいじゃない、グッド人間に!」
おれ「……グッド人間!」
……天啓、だった。グッドゴリラには決してなれない。だが、グッド人間にはなれるかもしれない。微かな可能性でも、0と1の間には大きな隔たりがある。グッド人間になりたい、そう思いながら走り続ける。だからこそ成長し続ける。人間にはそれができるはずだ。
胸のつかえが取れたように軽く息を吐く「おれ」の前で、「ぼく」の姿がフッと掻き消えた。ああ、そういえば一人称が「僕」から「俺」に変わったのはいつからだったろう。周りを意識して、カッコつけ始めて……。
語らってくれたのは俺の影。純粋だった頃の「僕」の残滓。俺の中にまだ、居たんだな。ありがとうと呟いて、俺はとにかく飯を食うことにした。
了
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